栗ごはんを食べながら両親を考察する

金木犀が香る秋となりました・・・本当に時が経つのは早いですね。
先日実家に託けモノを届けに帰り、久しぶりに両親と晩御飯を頂きました。
その時にでてきた栗ごはん。。。季節を感じられるものが出てくると、やっぱり家っていいなぁって思います。(普段の私の食事は生活に追われ、殺伐としたものなのでポロリ
この秋、実は栗ごはんを頂くのは2回目。家それぞれに味付けや入ってるものがちょっと違ったりして、作る方の個性や温もりが感じられますね。
ちなみに仁希は作ったことありませんたらーっ
だって皮剥くの手を切りそうで怖いんだもん。
、、、っていい加減いいお年なので、そんなことも言ってられないですね・・・
母にレシピを教わったので、いずれ挑戦したいと思ってます。

久しぶりに親と会話をして感じたこと。
あることを投げかけたとき、この夫婦は対称的な反応をします。
ポジティブとネガティブ・・・というか、行動派と慎重派みたいな。
だから、いろんなことがあったけど、こうして今まで家族でやってこれたのでしょうか。
父は石橋を叩きながら、とりあえず前へ進む人です。
母は石橋の前で立ち止まり、石橋が崩れたらとか、石じゃなくて砂で出来てるのかもと、悪いこと、最悪の事態を想定、妄想し様子を見ます。
そう何事も期待しない、、、うまくいかなかったとき、期待を裏切られたときのショックを最小限に留めるために。
でも、いざという時、、、やはり母は強し!です。父親以上の行動力があります。
そんな母の口癖・・「○○になって良かったね」「○○にならなかったから良かったね」。
と、ネガティブのまま終わるのではないのです。
どんなに最悪な状況の中でも「良かったこと」をみつけて言葉に出すのが母のいい所だと思ってます。
私がいくら貧乏でもたらーっ、生活に追われてても、その中からふとした小さなシアワセを感じることが出来るのは、そんな母の影響があるかもしれないです。
世界の環境、経済、あらゆる情勢が不安定な今、今日と同じ明日がやってくるとは限らない。
悪化の一途をたどることとなるかもしれない。
こんな時こそ、社会の最小の単位、家族に立ち返ることが大切なのではないかと思います。

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