【捕鯨船の母港下関】捕鯨調査母船「日新丸」一般公開【捕鯨とは?】

捕鯨船 日新丸 下関 下関イベント情報
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2009年4月26日、捕鯨調査母船「日新丸」と目視採集船「第二勇新丸」が、下関唐戸のあるかぽ-とに着岸、一般公開される、ということで見に来ました。
ってか、本当の目的は無料で振る舞われるくじら汁(^^ゞ
会場では鯨肉や鯨肉加工品、地元特産品等販売もありました

かって捕鯨基地として栄えた下関市に母船「日新丸」が南極海から帰路に直接、寄港するのは11年振りだそうです。
日本では有史以前から捕鯨が行われ、明治時代には西洋式の捕鯨技術を導入し、遠くは南極海などの外洋にも進出して捕鯨を操業、ノルウェーやイギリスと並ぶ主要な近代捕鯨国の一つとなった。グリーンピースやシーシェパードの激しい捕鯨妨害活動等で捕鯨の規制が強まった現在も、日本は捕鯨を継続する数少ない国の一つ、
なんですね。
下関が調査捕鯨船の母港として使われている関係で、下関市民は学校給食で鯨料理を戴いてました。(竜田揚げ美味しかった~)
「大きいものを食べると縁起が良い」とよくおばあちゃんが言ってたような。
普通にスーパーなどで鯨のいろんな部位が売られているので、食卓にもたまにあがってましたね。

「日新丸」
林兼商店(後の大洋捕鯨)が捕鯨事業の開始にあたり、川崎造船所に大型の捕鯨母船を発注した。こうして建造されたのが「日新丸」である。
1936年(昭和11年)2月26日に起工された「日新丸」は、翌秋の出漁期にあわせるために建造工事が急がれ、起工から156日目の8月1日に進水した。9月28日竣工。
竣工後は同年秋の1936年度南氷洋捕鯨から投入され、それから4年間は南氷洋捕鯨に従事した。 国際情勢の悪化により1941年(昭和16年)度南氷洋捕鯨は中止となり、同年11月25日、「日新丸」は海軍に徴用されて海軍一般徴用船となる。徴用後の同年12月から翌1942年(昭和17年)11月まで南洋方面への輸送任務に従事。 1944年(昭和19年)5月6日朝、米潜クレヴァルは「日新丸」へ向け魚雷を発射。うち2本が後部に命中した「日新丸」は5分で沈没し、積荷の多量の石油を喪失した。船員15名が戦死。沈没地点はボルネオ北岸沖。
「第二日新丸」は川崎造船所で1936年(昭和11年)12月16日に起工。1937年(昭和12年)6月9日に進水し同年10月6日に竣工。1941年(昭和16年)12月2日軍に徴用されて海軍一般徴用船となる。 1943年4月17日18時13分石垣島白保崎南方50海里の海上で浮遊機雷に触れ大破する。
その後日本政府は、大洋漁業の働きかけを受けて、鯨肉生産による食糧確保と鯨油輸出による外貨獲得を目的とする南極海での捕鯨再開。
そして第一日新丸が、1946年(昭和21年)10月15日に竣工、1965年(昭和40年)3月解体。
日新丸 (2代)は1951年(昭和26年)9月30日川崎造船所にて竣工、1973年(昭和48年)4月、中華人民共和国の企業に売却。

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今回公開されたのは「日新丸 (3代)」
元々は1987年(昭和62年)12月に竣工したトロール船筑前丸。
第三日新丸の代替として日立造船因島工場で捕鯨母船に改造し、日新丸に改名し、1987年(昭和62年)から毎年日本鯨類研究所に傭船され、調査捕鯨の調査母船として運用、世界唯一の捕鯨母船なんだそうです。

そういえば以前下関の飲み屋街豊前田にあるお店で、捕鯨船が南極から持ち帰ったという氷でバーボンのロックを作って貰いました。
とっても美味しかった~!

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コメント

  1. hrm より:

    おつかれさまでした。そんなにお忙しい日々だったんですね!驚きです。ほんわかした雰囲気はそんな日常を感じさせないですね☆カリスマ!!!いいお休みを過ごせたようでよかったです^^